诸圣人の祭日:教皇「わたしたちの人生が圣性の道となるように」
教会の典礼暦で「诸圣人」の祭日を迎えた11月1日(金)、教皇フランシスコはバチカンでお告げの祈りを巡礼者と共に唱えられた。
祈りの前に、教皇は、この日の福音朗読箇所、イエスが「真福八端」(マタイ福音书5,1-12补)の教えを述べる场面を取り上げ、説教を行われた。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
諸聖人の祭日を迎えた今日、福音書(参照 マタイ 5,1-12)の中で、イエスは、キリスト者の身分証明書であり、聖性への道である「真福八端」を宣言されている。その中でイエスは、ご自身が人となられることで歩まれた道を、わたしたちにとって神の贈り物であると同時にわたしたちの応答でもある愛の道を示される。
この圣性への道が神の赠り物であるのは、圣パウロが言うように、わたしたちを圣なる者としてくださるのは神だからである(参照 1コリント6,11)。それゆえ、わたしたちは、圣なる者にしてくださるよう、わたしたちの心を主の御心に似たものにしてくださるようにと、何よりも主にお愿いするのである。
主がその恵みによってわたしたちをいやされ、愛してくださったように、主は、わたしたちが愛することを妨げるすべてのものから解放してくださる(参照 ヨハネ13,34)。こうして、福者カルロ?アクティスの言葉にあるように、わたしたちの中で、常に「神に場所を譲るために、自分が少なくなっていく」のである。
そして、これが、二つ目の点、わたしたちの応答へとつながっていく。天の御父は、ご自身の圣性をわたしたちに差し出されながらも、それを押し付けることはなさらない。主はわたしたちに圣性の种を蒔かれ、そのすばらしさを见せ、味わわせつつも、わたしたちの「はい」という返事を待ち、尊重される。
主はわたしたちに、ご自身が与えられる良い霊感に従う自由、主のご计画に加わる自由、主のお気持ちを自分のものにする自由を与えてくださる。主は、すべての人?全世界に向けて开かれた、より普遍的な爱をもって、他者に仕えることをわたしたちに教え、それを可能にしてくださる。
わたしたちは、圣人たちの生涯の中に、今日においても、これらすべてを见出すことができる。例えば、圣マクシミリアン?コルベは、アウシュビッツで、死刑を宣告された一人の父亲の身代わりになることを申し出た。コルカタの圣テレサは、最も贫しい人々に奉仕するために生涯を捧げた。圣オスカル?ロメロ司教は、横暴な者たちの権力の滥用から、最も贫しい人々の権利を守ったために祭坛で杀害された。
このほかにも、わたしたちが祭坛で崇敬する圣人や、わたしたちが毎日を共にしている「身近な」圣人など、多くの圣人たちの中に、真福八端の精神によって形作られた、贫しく、柔和で、怜れみ深く、义に飢え渇く、平和を実现する兄弟姉妹たちを认めることができる。彼らは「神に満たされた」人々、隣人の必要に无関心でいられない人々、光り辉く道の証し人である。そして、それはわたしたちにも可能なのである。
ここで自问しよう。祈りの中で、わたしは神に圣なる人生の赐物を愿っているだろうか。主の霊がわたしの中にかき立てる、善なる衝动に従っているだろうか。自分の生活环境の中で、福音の「真福八端」の実践にすすんで努力しているだろうか?
诸圣人の女王、マリアよ、わたしたちの人生が圣性の道となるよう、どうかお助けください。