「平和と希望の种となる」教皇、被造物のための祈愿日メッセージで
カトリック教会の2025年度の「被造物を大切にする世界祈愿日」が、9月1日に记念される。
教皇フランシスコのエコロジー的回心を説く回勅『ラウダート?シ』(2015年5月)と共に创设されたこの祈愿日は、今年で第10回目を迎えた。
现在开催中の「圣年」を背景に记念される2025年度の同祈愿日のテーマは、「平和と希望の种」。
教皇レオ14世は、前教皇フランシスコが生前に选んだこのテーマに沿って、メッセージを発表された。
このメッセージで教皇は、イエスは神の国について语るためにしばしば种のイメージを用いている、と指摘。
种は落ちた场所に自分のすべてを委ねながら、その恵みの爆発的な力をもって、思いがけない场所にさえもいのちを芽生えさせる、と未来を生むその惊くべき力に触れている。
「キリストにおいて、わたしたちは种である。ただそれだけではない。わたしたちは『平和と希望の种』である」と教皇は言う。
「ついに、我々の上に、霊が高い天から注がれる。荒れ野は园となり、园は森と见なされる。そのとき、荒れ野に公平が宿り、园に正义が住まう。正义が造り出すものは平和であり、正义が生み出す者は、とこしえに安らかな信頼である。我が民は平和の住みか、安らかな宿、忧いなき休息の场所に住まう」(イザヤ32,15-18)。教皇はこのイザヤ书の一节を引用しながら、不毛で干からびた荒れ野を休息と平安の庭に変える、神の霊の力を観想している。
世界の様々な场所で、大地の荒廃が进んでいることは明らかである、と教皇は述べ、いたるところで、不正义、国际法と人権の侵害、不平等、贪欲が、森林破壊や、公害、生物多様性の损失を生んでいると、厳しい现状に言及。
気候変动が引き起こす极端な自然现象はその激しさと频度を増しているのみならず、时に、自然そのものが交换の道具、経済的?政治的利益のための取引の対象になっている、と记している。
これらの伤は罪によるもの、と教皇は明言しつつ、これは、神がご自分に似た者として造られた人间に地球を託された时に意図していたこととは当然异なる结果である、と述べている。
教皇は、环境に対する正义は、単なる环境保护问题を超えて、紧急に必要とされている、と强调。それは社会正义、経済、人间学の问题であるのみならず、キリスト者にとっては神が人间に求められる义务でもあり、実际、被造物の保护は、信仰と人类の问题である、と説いている。
献身と优しさをもってこの问题に取り组むことで、たくさんの正义の种が芽を出し、平和と希望に贡献できるだろうと、教皇は述べている。
レオ14世は、教会がこの分野においてまいた种の一つとして、教皇フランシスコが统合的エコロジー教育を目的として企画した、カステルガンドルフォにおける「ボルゴ?ラウダート?シ(ラウダート?シ村)」计画を绍介。
回勅『ラウダート?シ』発表后のカトリック教会の10年间の歩みを振り返りつつ、同回勅がこれからもわたしたちに霊感を吹き込むと共に、「统合的エコロジー」が进むべき道としてこれからも选択され、分かち合われることを愿われた。