教皇、圣ペトロと圣パウロに、教会の一致と信仰の活力を见る
カトリック教会の典礼暦は、6月29日、ローマの保护者、圣ペトロ?圣パウロ使徒の祭日を迎えた。
教皇レオ14世は、同日午前、バチカンでミサを捧げられ、その中で「パリウム」を祝别、最近任命された首都大司教(管区大司教)にそれを赠られた。
パリウムは、毎年1月21日の圣アグネスの日に教皇によって祝别された子羊の毛で作られた白く细长い毛织物に、十字の刺繍を施し、轮状に仕立てたもの。パリウムに首を通し、胸と両肩にかけることは、羊を肩に乗せた「善き羊饲い」の姿を象徴する。
レオ14世は、教皇登位后に初めて迎えたこの圣ペトロ?圣パウロの祭日に、近くはイタリア、远くはパプアニューギニアや、グアム、ニューカレドニアなど、世界各地の54人の首都大司教ら、一人ひとりの肩に、「パリウム」を自らの手で掛けられ、抱拥を交わされた。
同日バチカンには、この仪式のために世界の首都大司教区から访れた巡礼団が詰めかけ、圣堂内で5500人、広场でおよそ5000人の信者がミサに参加した。
また、このミサには、正教会のエキュメニカル総主教庁の使节が参列した。
教皇はミサの中で、教会を支える柱、またローマの保护圣人であるペトロとパウロの「信仰における兄弟」としての証しを见つめながら、「教会的一致」そして「信仰の活力」という二つの视点から説教を行われた。
まず「教会的一致」という点を教皇は考察。この祭日の典礼が表すように、ペトロとパウロは殉教という同じ唯一の运命をたどるように召されていたと述べつつ、しかし、この二人は唯一の信仰における一致にたやすく到达したわけではなく、彼らはそれそれが异なる方法で、信仰を受け入れ、使徒职を遂行し、やがて长い歩みの末に、同じゴールに到达したといえる、と话された。
彼らの圣霊における兄弟爱は、彼らの出発点の违いを消し去ることはなかったと教皇は指摘。
シモン(ペトロ)はガリラヤの渔师であり、サウロ(パウロ)はファリサイ派に属する厳格な知识人であった。前者はすぐにすべてを捨て主に従ったが、后者は復活されたキリストに変容されるまでキリスト教徒を迫害していた。ペトロは特にユダヤ人に説教し、パウロは异邦人に福音を伝えた。こうした両者の违いを教皇は列挙した。
二人の使徒の间には、异邦人との関係をめぐって相违があったことを思い起こしながら、教皇は「ケファがアンティオキアに来たとき、非难すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました」といったパウロの言叶(ガラテヤ2,11)を引用。この问题のためにエルサレムの公会议が开かれ、使徒たちが话し合ったことは、わたしたちの知るところである、と话された。
ペトロとパウロのストーリーは、主がわたしたちを招く一致は、様々な声と颜の调和であり、一人ひとりの自由を消し去るものではないと教えている、と教皇は述べ、わたしたちも教会の一致の歩みについて自问し、多様性の中の一致を生きることを学ばなければならない、と强调された。
次に、教皇はペトロとパウロのストーリーはわたしたちの「信仰の活力」についても问いかけている、と话された。
実际、キリストの弟子として生きる中で、习惯や形式主义に陥り、刷新も现在の课题の把握もないまま司牧を続ける危険性を教皇は警告。
これに対し、二人の使徒の、変化を受け入れ、出来事?出会い?共同体の具体的な状况を通して自らを问い、信仰における兄弟姉妹たちから提起される问题や要求から福音化のための新しい道を模索するその意欲は、わたしたちに霊感を与えるものと语った。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(マタイ16,15)という、イエスがご自身の弟子たちに向けた问いは、「自分たちの信仰の歩みは跃动力や活力を保っているか、主との绊の火はまだ燃えているかどうか」を、今日のわたしたちにも问いかけている、と教皇は説いた。
レオ14世は、毎日、歴史のどんな时にも、常にこの问いに注意を払うようにと促しながら、教皇フランシスコがよく言われたように、キリスト者であることを単なる过去の遗产にしたくないならば、疲れ固まった信仰のリスクから抜け出し、「今日、わたしたちにとって、イエス?キリストとは谁なのか」を问わねばならないと呼びかけられた。