教皇フランシスコ、いつくしみと福音の喜び伝えた寄り添う牧者
教皇フランシスコの葬仪ミサが、4月26日、バチカンでとり行われた。
ミサを司式した枢机卿団主席ジョヴァンニ?バッティスタ?レ枢机卿は、弔辞の形をとった説教の中で、教皇フランシスコの司牧者としての姿と、その在位中の奉仕が教会と世界に与えた影响を振り返った。
「わたしの羊の世话をしなさい」。これこそが主キリストがペトロとその后継者たちに与えた常なる使命、すなわち「仕えられるためではなく仕えるために」(マルコ10,45)来られた主キリストに倣う、爱の奉仕の使命である、とレ枢机卿は强调。
羊のために命を捨てる善き羊饲い、主キリストの后に従い、晩年の健康状态や苦しみにも関わらず、地上の生涯の最后の日まで自己奉献の道を歩み続け、自分の羊の群れ、神の教会に、力强さと穏やかさをもって寄り添い続けた教皇フランシスコの姿を思い起こした。
2013年3月13日、ベルゴリオ枢机卿が、ベネディクト16世の后継者として教皇に选出された时に「フランシスコ」という名を选んだことは、アッシジの圣フランシスコから霊感を得た、自身の在位の基础となる一つのプログラムとスタイルの选択であるように思われた、とレ枢机卿は回想。
司牧者としての気质と実践方法を保ちつつ、教会の统治にすぐに强い个性をしるし、个人や人々と直接的なコンタクトを筑き、すべての人の近くにとどまり、困难に置かれた人や疎外された人々に特别な関心を示した、「人々の间にあってすべての人に心を开いた教皇」であったと述べた。
教皇フランシスコの使命を导いた一本の糸は、「教会は皆の家、常に扉を开け放った家である」という信念であり、同教皇がよく用いた「野戦病院のような教会」という表现は、人々が抱える问题や、今日の世界を引き裂く苦しみに积极的に対応することを厌わない教会の姿を表すものであった、と同枢机卿は语り、それを示す例として、难民や贫しい人々を拥护するための同教皇の无数の発言や行いを追想。
教皇の最初の司牧访问が、海で遭难する移民たちの悲剧の象徴である、シチリアのランペドゥーサ岛であったことに留意しつつ、ギリシャのレスボス岛や、メキシコと米国の国境への旅もまた、同様の意味を持っていたと指摘した。
47回にわたる教皇フランシスコの海外访问の中でも、特に歴史に残るものとして、レ枢机卿は、あらゆる危険に立ち向かいながら行った2021年のイラク访问を挙げたほか、教皇の最も远く长い旅となった、2024年のアジア?オセアニア诸国歴访にも触れた。
教皇フランシスコは常にいつくしみの福音を中心に据え、神はわたしたちを赦すことに疲れを知らず、いかなる状况であっても、赦しを乞い、まっすぐな生活に立ち返る者を常に赦される、ということを强调し続けたと、レ枢机卿は话した。
また、レ枢機卿は、教皇フランシスコが「いつくしみの特別聖年」(2015.12.8 - 2016.11.20)を開催し、「福音の心臓」といえる神のいつくしみに光を当てたことを振り返りつつ、実際「いつくしみ」と「福音の喜び」は同教皇の教えを代表する二つのキーワードであった、と述べた。
教皇フランシスコは自身が「切り捨ての文化」と呼んだ风潮とは反対に、出会いと连帯の文化を説いた、と述べたレ枢机卿は、同教皇は回勅『フラテッリ?トゥッティ(邦訳「兄弟の皆さん」)』を通して、皆が同じ天の御父の子、同じ人类家族の一员であるという考えに基づき、兄弟爱に対する渇望が世界に再びよみがえることを愿っていた、と语った。
さらに、同教皇は回勅『ラウダート?シ』をもって、全世界の人々に「共に暮らす家」(=地球)に対する义务と共同责任に関心を持つように诉えたと、レ枢机卿は话した。
近年、多くの戦争がもたらしている非人道的恐怖と无数の死と破壊を前に、レ枢机卿は、教皇フランシスコが平和を愿って上げた絶え间ないアピールと、可能な解决を探るための诚実な対话への招き、「戦争は世界をそれ以前より悪化させる、戦争とは败北である」という警告を指し示した。
そして、「壁ではなく、桥を筑く」ことを励まし続けた教皇フランシスコは、信仰への奉仕を、常にあらゆる面で人类への奉仕に结びつけていた、と回顾した。
「わたしのために祈ることを忘れないでください」と、同教皇が讲话や会见の终わりにいつも言っていた言叶を思い出しながら、レ枢机卿は、「亲爱なる教皇フランシスコ、わたしたちは今、あなたに、教会のため、ローマのため、世界のための祝福と祈りを愿います」と故教皇に呼びかけた。