「教会の母マリア」の日:レオ14世、教皇庁関係者と共に巡礼とミサ
典礼暦で「教会の母マリア」を记念した6月9日、教皇庁で働く人々のための圣年が祝われた。
この圣年の行事として、同日朝、教皇庁诸机関の圣职者や职员らは、教皇レオ14世临席のもとバチカンのパウロ6世ホールで行われた黙想会に参加。永久圣体礼拝者会(サクラメンティーネ会)のマリア?グロリア?リーヴァ修道女による黙想に耳を倾けた。
黙想の后、教皇庁関係者の圣ペトロ大圣堂への圣年の巡礼が行われた。
パウロ6世ホールから同大圣堂まではわずかな距离ではあるが、この「短い」巡礼は、教皇ご自身の参加によって特别なものとなった。
教皇は圣年の十字架を自ら掲げられ、パウロ6世ホールを出発。その后に枢机卿?司教、教皇庁の各机関の责任者たち、そして司祭?修道者?信徒ら、职员や协力者たちが列を作って続いた。
快晴の空の下、教皇は一般の巡礼者と同様に大圣堂に向けて歩まれ、教皇庁の圣年の巡礼を导かれた。そして、教皇をはじめ関係者らは大圣堂の石段を上り、圣年の扉をくぐった。
圣堂内で教皇は、教皇庁で働く圣职者たちとミサを共同司式された。
説教で教皇は、圣霊の豊かな恵みに満たされた「圣霊降临」の翌日、「教会の母マリア」の记念のうちに教皇庁の圣年を祝うことに喜びを表わされた。
教皇はミサ中に朗読された使徒言行録(1,12-14)とヨハネ福音书(19,25-34)の各箇所にマリアの豊饶性と圣性を観想。御言叶の光に照らし、教会の神秘と、教会のために働く教皇庁の本质について考察された。
教皇は、12人の弟子のうち唯一カルワリオにいたヨハネが见て証言した、「十字架の下に立っていたマリア」の存在、そして、十字架上のイエスが、母マリアと弟子ヨハネのそれぞれに向けた「妇人よ、御覧なさい。あなたの子です」「见なさい、あなたの母です」という言叶を深く胸に留められた。
「マリアの母性は、十字架の神秘を通して、想像もつかないほどの飞跃を遂げた。イエスの母は新しいエヴァとなった。なぜなら御子は、すべての人のために新たな永远のいのちの泉となったその赎いの死に、マリアを结び付けたからである」と教皇は话された。
教皇は「教会の豊饶性は、マリアの豊饶性そのものである」と述べると共に、それゆえに「教会と教皇庁の豊饶性のすべては、キリストの十字架によるものである。さもなくば、それは见せかけのものにすぎない」と注意された。
また、教皇は、マリアと教会の豊饶性は、マリアの圣性、すなわちマリアのキリストへの従顺と分かちがたく结ばれていると指摘。
教会がその起源において圣なるものであるように、教皇庁もその根源にある圣性を守る存在であり、それは教皇庁のそれぞれのメンバーについても同じである、と述べながら、教皇庁におけるより良い奉仕のあり方とは、それぞれの生活と託された仕事を通して圣性を追求することである、と説かれた。
さらに、教皇は使徒言行録の冒头に、ペトロを笔头に、高间に集っていた使徒たちの名前と共に、マリアの存在が记されている(同1,12-14)ことに注目。
マリアが十字架の下で受け取った母としての使命は、高间では生まれつつある共同体への奉仕という形で表され、そこでマリアは生きたイエスの记忆として皆を引き寄せ、弟子たちの多様性を调和させ、皆の祈りを一致させる役割を负っていることを示された。
「教皇庁は、唯一、特别な形で、マリアとペトロという二つの极を生きている」と述べつつ、教皇は、ペトロの豊饶性と圣性を保証するのは、マリアなのであると强调された。