「平和のコミュニケーションの道を」レオ14世、报道関係者らに
教皇レオ14世は、5月12日(月)、コミュニケーションの世界で働く人々との出会いを持たれた。
この集いには、世界のメディア関係者はもとより、日顷、教会の広报に携わる人々も多く出席した。
教皇はスピーチを、冒头を英语で、残りはイタリア语で行われた。
「平和を実现する人々は、幸いである」(マタイ5,9)という、イエスの山上の垂训の言叶を教皇は示しつつ、この教えは、同意の强要や、攻撃的な言叶、竞争的な概念なしに、真理と爱を分かたず追求する、异なる形のコミュニケ―ションをわたしたちに促している、と话された。
「平和はわたしたち一人ひとりから始まる」と述べた教皇は、その平和はわたしたちが他者を见つめ、他者に耳を倾け、他者について话す方法から始まるのであり、こうした意味で、コミュニケーションのあり方は本质的な重要性を持っている、と语られた。
そして、教皇は「わたしたちは言叶や映像の戦争にノーと言い、戦争的レトリックを退けなければならない」と説かれた。
この席で教皇は、真実の追求のために投狱されたジャーナリストらに対するカトリック教会の连帯を表明すると共に、これらの人々の解放を呼びかけられた。中でも、自らの命を悬けて戦争を报道する人々、人民の尊厳、正义、権利を守る勇気を持つ人々に思いを向けられた。
わたしたちは难しい时代を生きており、その时代は様々な问题を突き付けてくるが、そこから逃げるわけにはいかない、と话す教皇は、むしろ、凡庸に陥らぬよう注意しながら、それぞれの役割や仕事を通し、时代の挑戦を受けなければならない、と励ました。
そうした中、教皇は「わたしたちがよく生きるならば、时代はよくなるだろう。わたしたちが时代なのである」という圣アウグスティヌスの言叶を引用された。
教皇は、今日のコミュニケーションにおける重要课题の一つとして、爱の欠如した、しばしばイデオロギー的?党派的で、混乱した表现に満ちた「バベルの塔」からの脱出を挙げられた。
コミュニケーションとは単なる情报の伝达ではなく、対话や対比のスペースとなる、文化や人间的?デジタル的环境の创造でもある、と教皇は指摘。
技术発展を背景にこの使命はより重要であり、特に人工知能の広大な能力は、それを人类に役立つ共通善の道具とするために、责任と识别を必要としている、と话された。
レオ14世は、间もなく记念されるカトリック教会の「世界広报の日」(今年は6月1日、日本の教会では5月25日)を前に、「コミュニケーションを、先入観や、怨恨、狂信、憎悪といったあらゆる武装から解放しよう」という、故フランシスコ教皇が同记念日のために残した最后のメッセージを示された。
教皇は、纷争と平和への希望、不正义や贫困の现状、より良い世界のために働く多くの人々について最前线で语る报道関係者らに、自覚と勇気をもって、平和のコミュニケーションの道を选んでほしい、と呼びかけられた。