コンクラーベ初日:枢机卿ら集い「ローマ教皇选挙のためのミサ」
2025年5月7日(水)、カトリック教会は、教皇フランシスコの逝去に伴う、新教皇选出のためのコンクラーベ初日を迎えた。
同日午前、バチカンの圣ペトロ大圣堂でとり行われた「ローマ教皇选挙のためのミサ」(ミッサ?プロ?エリジェンド?ロマーノ?ポンテフィチェ)は、枢机卿団主席、ジョヴァンニ?バッティスタ?レ枢机卿を主司式者とし、220人の枢机卿との共同司式で捧げられた。
このミサには、教会の歴史的な节目を共にしようと、5千人以上の信者たちが圣堂内に詰めかけ、枢机卿たちと心を合わせ、新教皇选出のために祈った。
レ枢机卿はミサの説教で、「この困难で复雑な歴史の曲がり角にあって、わたしたちは教会と人类が必要とする教皇を选出するために、圣霊の助けを呼び、その光と力を祈り求めるためにここにいる」と话した。
同枢机卿は、「わたしがあなたがたを爱したように、互いに爱し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15,12)というイエスの言叶を、イエスの新しい掟、爱のメッセージとして示しながら、ペトロの后継者の教会の一致と交わりを守り育てる使命を强调した。
「ローマ教皇选挙のためのミサ」における、ジョヴァンニ?バッティスタ?レ枢机卿の説教は以下のとおり。
使徒言行録には、キリストが天に昇られた後、聖霊降臨を待つ間、皆がイエスの母マリアと共に心を合わせて熱心に祈っていたと記されています(参照 使徒言行録1,14)。
これこそ、コンクラーベを数时间后に控えた今、使徒ペトロの墓の上に建てられたこの大圣堂で、祭坛の脇に置かれた圣母像のまなざしの下に、わたしたちが行っていることなのです。
わたしたちは、神の民全体が、その信仰心と、教皇への爱、そして信頼に満ちた期待をもって、われわれと一致しているのを感じます。
この困难で复雑な歴史の曲がり角にあって、わたしたちは教会と人类が必要とする教皇を选出するために、圣霊の助けを呼び、その光と力を祈り求めるためにここにいます。
有権枢机卿たちが、人类と教会における最大の责任を帯びた行為と、たぐいまれな重要性を持选択に备える中、圣霊に向かって祈り求めることは、唯一持つべき正しい态度です。それは、あらゆる私的な考えを捨て去り、头と心の中をイエス?キリストの神と、教会と人类の善だけで満たす、人间性にかなった态度です。
先ほど朗読された福音は、イエスが最后の晩餐の夜に弟子たちに託した至高のメッセージ=遗言の核心にわたしたちを导きます。「わたしがあなたがたを爱したように、互いに爱し合いなさい。これがわたしの掟である」(ヨハネ15,12)。「わたしがあなたがたを爱したように」という言叶は、わたしたちの爱がどこまで到达すべきかを、より厳密に示しているかのようです。実际、イエスはこの后で明言します。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな爱はない」(同15,13)。
これは、イエスが「新しい」掟と呼ばれる、爱のメッセージです。これが新しいのは、「自分がされたくないことを、他の人にもしてはならない」という旧约圣书の训戒を前向きに、拡大するものだからです。
イエスが啓示する愛には際限がありません。そして、それは、イエスのすべての弟子たちの思いと行いを特徴づけるものでなくてはなりません。イエスの弟子たちの態度において、パウロ6世が 「愛の文明 」と呼んだ、新しい文明の構築に貢献する真の愛を常に示すものでなくてはなりません。愛は、世界を変えることのできる唯一の力です。
イエスは最后の晩餐の始めに、惊くべき态度をもって、この爱の模范を示してくださいました。使徒たちの足を洗ったイエスは、他者に仕えるために身を低くされました。ご自分を里切ることになるユダさえ除外せず、谁をも差别せず、彼らの足を洗われたのです。
イエスのこのメッセージは、ミサの第一朗読でわたしたちが耳を倾けた内容と结びついています。そこで预言者イザヤは、牧者に不可欠な素质は、完全な自己献身に至るまでの爱であることをわたしたちに思い起こさせています。
それゆえに、このミサ圣祭の典礼文は、わたしたちを教会の一致、また人类の普遍的友爱の推进のために、兄弟爱と相互の助け合いへとわたしたちを招いています。ペトロの后継者の责务の中に、交わりを育てるというものがあります。そこは、すべてのキリスト者とキリストの交わり、教皇と司教たちの交わり、司教同士の交わりがあります。それは自己完结的な交わりではなく、教会が常に「交わりの家であり学び舎」であることを念头に置いた、个人、人民、文化间へと広がる交わりです。
さらに、キリストが使徒たちに残した足跡において、教会の一致を维持するようとの呼びかけは强いものです。教会の一致はキリストが望まれたものです。その一致とは、画一性を意味するものではなく、福音に完全に忠実であり続ける限り、多様性における坚固で深い交わりを意味するものです。
すべての教皇は、ペトロとその使命を体現すると共に、キリストの地上の代理であり続けます。ペトロは岩であり、その上に教会は建てられています(参照 マタイ16,18)。
新教皇を选ぶことは、単なる人の交代を意味しません。新教皇は常に、帰って来た使徒ペトロなのです。
有権枢机卿は、システィーナ礼拝堂で投票を行います。使徒宪章「ウニヴェルシ?ドミニチ?グレジス」にあるように、同礼拝堂では「すべてが神の现存への意识を増すようにと竞い合っています。いつか、その神の御前に一人ひとりが进み出て、裁きを仰がなければなりません」。
教皇ヨハネ?パウロ2世は「诗:黙想ローマ叁部作」の中で、投票によって大きな决断がなされる时、ミケランジェロの裁判官イエスの像が迫り来て、「伟大なる键」(ダンテ)を正しい手に委ねる责任の重大さを一人ひとりに思い起こさせる、と述べています。
この100年间、まことに圣なる伟大な歴代の教皇たちをわたしたちに与えてくださった圣霊に、教会と人类のために、神の御旨に沿った、新しい教皇を恵んでくださるようにと祈りましょう。
科学技术の伟大な発展を特徴としつつも、神を忘れがちな今日の社会で、すべての人の良心と、伦理的?霊的エネルギーを最もよく目覚めさせることのできる教皇を教会に与えてくださるよう神に祈りましょう。
今日の世界は、人间的、精神的な基本価値を守るために、教会に多くを期待しています。これらの価値なしでは、人类の共存の向上はもとより、未来の世代に良いものをもたらすことはできません。
圣霊が有権枢机卿の心を照らし、今日の时代が必要とする教皇を选出するために彼らを一致させてくださるよう、教会の母、至福なるおとめマリアの母としての执り成しを祈りましょう。