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レオ14世、圣パウロ大圣堂で入堂?着座の仪式

レオ14世は、ローマの城壁外の圣パウロ大圣堂に入堂、使徒パウロの墓前で祈られた。

 レオ14世は、5月20日、教皇直属バジリカの一つであるローマの城壁外の圣パウロ大圣堂(サン?パオロ?フォーリ?レ?ムーラ)に赴かれ、入堂と着座を行われた。

 圣ペトロの后継者であるローマ教皇は、その使徒职の开始に伴い、ペトロと共に「教会の础」「柱」をなす、「异邦人の使徒」圣パウロの墓前を访れる。

 同日夕方、城壁外の圣パウロ大圣堂に入堂されたレオ14世は、早くから教皇の到着を圣堂内で待っていたおよそ2千人の信者たちに迎えられた。

 ゴシック様式のチボリオ(圣堂の主祭坛を守る、天盖の役割を果たす教会内部の建造物)に覆われた教皇祭坛まで来られた教皇は、祭坛下の阶段から使徒パウロの墓に降りた。

 使徒パウロは、紀元64年か67年頃、ローマ郊外のアクア?サルヴィエ(現在のトレ?フォンターネ)という場所で殉教し、その遺体は今日聖パウロ大聖堂が立っている場所に葬られた。コンフェッシオーネと呼ばれる祭壇の下には、殉教者?使徒パウロの石棺があり、上方には、パウロが囚人としてローマの住まいで軟禁されていた時に、番兵とつながれていた(参照 使徒言行録28,16)とされる「鎖」が聖遺物として保管されている。

 教皇は、使徒圣パウロの墓前で祈祷台にひざまずき、祈りを捧げられた。

 この后、レオ14世は、圣堂の后阵奥にある大理石の教皇座から説教を行われた。

 その中で教皇は、「わたしたちはイエス?キリストにより、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました」(参照 ローマの信徒への手紙1,5)という、聖パウロの言葉を胸に留められた。

 教皇は圣パウロが何よりも自分の召し出しを神からの「恵み」と捉えていることに注目。

 パウロは、自分とキリストとの出会いと彼が受けた使徒职が、神の爱によるものであること、また、彼が教会の迫害者として福音からまだ离れていた时に、神は先立って彼を爱され、新しい人生へと招かれたことを、パウロは自覚していたと话された。

 教皇は、圣アウグスティヌスもまた、パウロと同じような回心を体験した、と指摘。「わたしたち自身が先に选ばれずして、どうして选ぶことができようか。実际、わたしたちが先に爱されなかったならば、わたしたちは爱することさえできないのである」という、圣アウグスティヌスの言叶を引用された。

 一方、教皇はパウロの「信仰による従顺」(ローマ1,5)という言叶にも注意を向けられた。

 ダマスコの途上でパウロに現れた主は(参照 使徒言行録9,1-30)、パウロの自由を奪うことなく、選択の可能性を残され、パウロは努力の結果、心身の闘いを経て、この召命を受け入れた、と語った教皇は、救いは魔法ではなく、恵みと信仰の神秘、先立つ神の愛、そして、人間側の自由で信頼に満ちた同意から来るもの、と説かれた。

 レオ14世は、この圣パウロ大圣堂が、圣ベネディクトの会则を基础に修道生活をおくる圣ベネディクト会の管理に古くから任されていることに触れながら、现代のもう一人のベネディクト、教皇ベネディクト16世に言及。

 「亲爱なる友の皆さん、神はわたしたちを爱しておられます。これこそわたしたちの人生の伟大な真理であり、残りのいっさいに意味を与えるものです」(若者たちとの祈りの前夜祭、マドリッド、2011年8月20日)というベネディクト16世の言叶を思い起こされた。

 ペトロの后継者として、またパウロの情热を受け継ぐ者としてのご自身の使命はもとより、すべての人の使命はこの神の爱に根差していると强调したレオ14世は、ご自分が主の呼びかけに忠実に答えることができるようにと、その恵みを祈り求められた。

21 5月 2025, 07:23