レイナ枢机卿「故教皇をしのぶローマ、未来に福音告げる指导者を」
教皇フランシスコの葬仪の日から始まった、9日间の丧の期间、「ノヴェンディアーリ」3日目のミサがバチカンの圣ペトロ大圣堂でとりおこなわれた。
4月28日(月)夕方、ローマ教区教皇代理司教バルダッサーレ?レイナ枢机卿が司式したこのミサには、世界各国の巡礼者と共に、ローマ教区関係者が多数参加した。
レイナ枢機卿は説教で、ここ数日、ローマは亡き司教をしのび、地元の人々と他の人々が共にゆかりの場所に列を作り、涙し、祈る姿は、「飼い主のいない羊」(参照 マタイ9,36)という比喩を思い出させるものであった、と述べた。
同枢機卿は、ミサ中朗読された「一粒の麦は、地に落ちて死ねば、多くの実を結ぶ」(参照 ヨハネ2,24)という言葉を、羊飼いの自分の群れに対する愛に結びつけて観想。
「饲い主のいない羊」という言叶は、弱り果て打ちひしがれた群众をご覧になり深く怜れまれたイエスの口から出たことを指摘しながら、同枢机卿は、世界が燃えている今この时、未来の可能にして具体的なビジョンを投影しながら福音を宣言する勇気を持つ必要を诉えた。
教皇フランシスコによる教会の改革は宗教という枠を超え、人々は同教皇に世界的な司牧者としての姿と、ペトロの舟が広く冲に出る必要を认めることになった、と述べた同枢机卿は、今后このプロセスがどのように展开していくのか、という问いが生まれるのは当然である、と语った。
そして、今日、牧者を探すということは、福音の要求を前に损失を恐れない指导者、イエスの眼差しをもった牧者、皆の役务とカリスマを合わせて共に歩む必要を确认させる牧者を探すことである、と话した。
同枢机卿は、地に落ちた一粒の麦である主に、わたしたちが忠実でありたいならば、それを自分の人生に蒔き、自分もそのように生きなければならない、と强调。
最后まで自分の民を抱拥し、神のいつくしみを告げることを惜しまなかった故教皇に、「教皇フランシスコ、ありがとう」と呼びかけた。