主の公现:教皇「东方の博士たちを旅立たせた星の新しい光とは」
カトリック教会の典礼暦は、1月6日(月)、「主の公现」の祭日を迎えた。
「主の公现」とは、ベツレヘムの幼子イエスへの东方叁博士の访问や、ヨルダン川におけるイエスの洗礼、カナの婚礼でのイエスの最初の奇跡など、キリストが公に人々の前に姿を现され、キリストを通し神の栄光がすべての人に现れたことをいう。
「主の公现」の祭日は1月6日であるが、日本の教会では、1月2日から1月8日の间の日曜日に祝うことから、2025年度は、1月5日(日)に记念された。
教皇フランシスコは、6日午前、バチカンの圣ペトロ大圣堂で「主の公现」の祭日のミサをとり行われた。
ミサ中の説教で教皇は、星に导かれて旅に出た东方の叁博士たちの歩みを、「希望」をテーマとする2025年の圣年の巡礼者たちの歩みと重ねられた。
そして、この博士たちを、人生を転换させる旅へと送り出した新しい光、东方で见たその星の特徴とは何であったのかを考察された。
「わたしたちは东方でその方の星を见たので、拝みに来たのです」(マタイ2,2)。エルサレムに来た博士たちはこのように话し、ユダヤ人の王が生まれたことを人々に告げた。
教皇は、マタイ福音书が语る星の特徴として、「明るい」「谁にでも见える」「歩みを导く」の3つを挙げられた。
イエスの时代、多くの治世者はその権力と名声ゆえに、人々に自らを「星」と呼ばせたが、东方叁博士たちに主の降诞の神秘を启示したのは、彼らの冷たい光ではなかった、と教皇は述べた。
これに対し、希望を追い求める博士たちに答えを与えることができたのは、别の种类の光、自分自身を燃やし尽くしながら人々を照らし温める光、救いと幸福の道を皆に示す光、すなわち神の爱の光であった、と语られた。
教皇は、ベツレヘムへと博士たちを导いた星の光のように、わたしたちも出会う人々に自らの爱をもって、人となられた神の御子イエスを通し启示される神の御颜と、寄り添いと怜れみ、优しさからなるその爱を伝えよう、と招かれた。
また、教皇は、博士たちが星の辉きに导かれて行ったのに対し、ヘロデ王や律法学者たちは星の存在にさえ気づいていなかったと指摘。
しかし、星は常にそこにあり、希望のしるしを求めて眼差しを上げるすべての人はそれを见ることができる、神は寄り添いと导きを诚実な心で求めるすべての人にご自身を启示される、と话された。
教皇は、东方の叁博士たちが见た星の光は、わたしたちの歩みを照らし、わたしたちを内的な旅へと导く、と强调。
この圣年にあたり、爱以外のすべてから心を解放し、キリストとの全き出会いのうちに、わたしたちの信仰を宣言しながら、あふれる神のいつくしみを受け取ろう、と信者たちを励まされた。