教皇「戦争の云を、平和の风で吹き払う希望の外交を」
教皇フランシスコは、1月9日(木)、驻バチカン外交団と新年の挨拶を交换された。
バチカンの祝福の间で行われたこの恒例の行事には、各国?组织の大使および代表が一堂に会した。
现在、バチカンと完全な外交関係を结ぶ国は184カ国。これらに、欧州连合とマルタ骑士団が加わる。
教皇は风邪の影响のため、大使らに向けた挨拶を、教皇庁东方教会省事务次官フィリッポ?チャンパネッリ神父の代読に委ねられた。
この中で教皇は、最近の世界情势を展望すると共に、そこから浮かび上がる倾向を分析。
世界が数多くの纷争や耻ずべきテロ行為の中で新年を迎えたことを遗憾としつつも、この圣年を背景に「希望の外交」を提示しながら、対话による平和构筑を诉えられた。
教皇は、「多くの国で社会?政治における対立の深まりが见られ、社会はさらに分极化し、隣人に対する恐れと、未来への不信が巣食っている」、そして、これらの倾向は、「特に次々に生まれ広がる『フェイクニュース』によって深刻化している」と述べる。
そして、フェイクニュースが、出来事の事実を歪曲するだけでなく、现実に対する误った知覚と懐疑的な空気を生みながら、憎しみと偏见を増幅させ、社会の共存と国内の安定を危険にさらしている、と语っている。
教皇は圣年であるこの新年が、キリスト教信者だけでなく、すべての人に、人类として、また政治共同体としての绊を再考させ、「対立の论理」を克服し、「出会いの论理」を抱拥する机会となるように、わたしたちが絶望した放浪者ではなく、希望の巡礼者として、平和の未来の构筑に取り组む时间となるように、と愿われた。
世界戦争の胁威がより具体化するのを前に、外交の召命は、「不都合な」相手や、正当な交渉相手と认められていない人をも含む、すべての人との対话を促进することであり、これが憎しみや復讐の连锁を断ち切る唯一の道である、と教皇は述べた。
こうした中、教皇は、イエスが公生活の始まりにナザレの会堂で预言者イザヤの巻物を朗読し、説教を行ったエピソード(ルカ4,16-2)を思い起こしつつ、その时イエスが目をとめた「イザヤ书」の次の言叶を引用。
「(主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして)貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」 (イザヤ 61,1-2a)。
そして、教皇は、このイザヤ书の言叶の一つひとつを「希望の外交」の指针として示しながら、皆がその「希望の外交」の先駆けとなることで、立ち込めた戦争の云が、新たな平和の风によって吹き払われることを希望された。
贫しい人に良い知らせを伝える
「现代には多くの贫しさがある。今日ほど、人类が进歩や発展、豊かさを経験しながらも、これほどまでに孤独で道を见失ったことはない」と述べる教皇は、「人々に良い知らせを伝えることは急务である」と言う。
「人间には生来、真理への渇望を持っている。しかし、この时代、自明の真理を否定する风潮が势いを帯びている」と教皇は観察しつつ、「客観的な真実を无视し、自分自身の『真実』を作り出す倾向」が、「経済?政治?イデオロギー上の目的の意识操作の手段として悪用されている今日のメディアや人工知能によって、さらに强まる可能性」を危惧している。
教皇は「希望の外交とは、何よりもまず真実の外交である」と述べる。
「コミュニケーション、対话、共通善への取り组みには、诚意と共通言语への参加が求められる。これは外交分野、特に多国间的背景においてまことに重要である」、「そのため、分裂をもたらし、価値観や信仰を踏みにじるイデオロギーの推进のために多国间の文书を利用しようとする试み、すなわち用语の意味を変えたり、人権条约の内容を一方的に再解釈したりすることは、とりわけ忧虑すべきものである」と语っている。
打ち砕かれた心を包む
「希望の外交は、赦しの外交でもある。それは、憎しみと暴力によって引き裂かれた人间関係を纺ぎ直し、あまりにも多い犠牲者たちの伤ついた心を癒すものである」と教皇は説く。
そして、教皇は2025年の希望として、3年近くにわたりウクライナを苦しめ、多くの犠牲者を出してきた戦争に终止符を打つための国际社会全体の尽力を愿われた。一方で、教皇は、公正な恒久平和の条件を整え、侵略による伤を癒すためには、まだ多くの作业が必要とも述べている。
同様に教皇は、ガザにおける停戦と、イスラエル人の人质の解放を改めてアピール。「ガザの深刻かつ耻ずべき人道的状况」に対し、「パレスチナの人々が必要とするすべての援助を受けられるように」と愿った。教皇は、イスラエル人とパレスチナ人が対话と相互信頼の架け桥を再び筑き、未来の世代が2つの国家において平和と安全のうちに共存し、エルサレムがキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が调和と尊重のうちに共存できる「出会いの都市」となることを希望された。
「戦争とは常に挫折である」と述べた教皇は、「民间人、特に子どもたちを巻き込み、インフラを破壊することは、败北であるのみならず、双方の争いで悪のみを胜たせることに等しい」と强调。民间人への爆撃や、人々が生きていく上で必要不可欠なインフラへの攻撃、病院やエネルギー网の破壊のために、子どもたちが冻死する状况はまったく容认できないものと述べている。
教皇は、この圣年が国际社会にとって、不可侵の人権が军事要求のために犠牲になることがないように取り组む机会になることを愿われた。また、国际人道法が必ず遵守されるよう、継続した努力を期待された。
教皇は、スーダン、サヘル地域、「アフリカの角」地域、モザンビーク、コンゴ民主共和国など、纷争やテロリズム、また干ばつ、洪水などの自然灾害に苦しむアフリカ各地に思いを向けられた。
また、続く武力衝突のため、家から逃げ、恐怖の中で暮らさざるを得ないミャンマーの人々を心に留められた。
さらに、様々な政治?社会的対立や暴力?混乱が见られるアメリカ大陆、中でもハイチ、ベネズエラ、ボリビア、コロンビア、ニカラグアの情势に触れられた。
教皇は、特に「数年にわたる戦争と荒廃の后、安定に向けて歩み始めたように见えるシリア」に言及。同国において、领土の一体性、国民の一致、必要な宪法改革が损なわれることがないようにと望まれた。
同様に、教皇はレバノンについて、特に同国の社会の构成员であるキリスト教徒たちの决定的な支援により、深刻な経済?社会状况に立ち向かうための制度上の安定を得て、戦争の被害を受けた南部の復兴ができるようにと愿われた。
捕らわれ人に自由を
教皇は、いまだ様々な形で存在する奴隷制度に触れながら、あまりにも多くの人々がしばしば非人间的な労働条件の奴隷となっていることを悬念。尊厳ある労働条件を整え、高贵で尊いものであるはずの労働が、人间の実现と成长の妨げとならないようにと注意を唤起された。
また、教皇は、若者たちを袭う薬物中毒や、戦争、飢饉、迫害、気候変动の影响などから逃れ、安全な场所を求める多くの人々を搾取する人身取引などと戦う必要を诉えた。
つながれている人に解放を告げる
「希望の外交とは、正义の外交であり、それなくして平和はない」と教皇は述べ、圣年を、正义を実践し、债务を免除し、受刑者の刑を减刑するのにふさわしい机会として示した。
教皇は、すべての国において死刑が廃止されるよう改めてアピール。今日、死刑は正义を救済する手段としての正当性を见つけることができない、と述べた。
また、わたしたちが共に暮らす家=地球と、そこで今暮らす人々と将来暮らす人々のためにできる限りの努力を诉える教皇は、最も豊かな国々に対し、返済不可能な国の债务の免除を愿い、中でも、エコロジカルな债务として、恵まれない国の対外债务を、统合的な人间开発政策?プログラムに転换する方法を见出すようよう招いた。
「キリスト教的観点から、圣年とは恵みの时である」と述べた教皇は、2025年が真理、赦し、自由、正义、平和に満ちた、恵みの年となることを切に祈られた。