「心に抱く希望を穏やかに分かち合う」教皇「広报の日」メッセージで
教皇フランシスコは、カトリック教会の「世界広报の日」に先立ち、メッセージを発表された。
カトリック教会は、毎年、「圣霊降临」の前週の日曜日(今年は6月1日 ※日本の教会では復活节第6主日に记念するため今年は5月25日)に、「世界広报の日」を记念し、多様な形态のメディアを通して行われる福音宣教について教会全体で考え、祈りを捧げる。
2025年度のテーマは、「あなたがたが心に抱いている希望を穏やかに分かち合いなさい」(仮訳、参照1ペトロ3,15-16)。
メッセージの中で教皇は、偽りの情报や分极化が目立ち、かつてないほどに、ごく一部の権力が大量のデータと情报を统制する今日、ジャーナリストや広报担当者たちの仕事の重要性と责任を示している。
教皇は、困难な时代の中の、恵みの时であるこの圣年にあたり、福音の精神に従い、各自の仕事と使命を新たにし、希望を伝える者となるようにと、报道?広报関係者らを招いている。
コミュニケーションの「武装」を解く
教皇は、希望を生まず、恐怖や、絶望、偏见、恨み、狂信、憎悪を生じさせ、直感的な反応を引き起こすためにしばしば现実を単纯化し、言叶を刃物のように扱い、偽りの、あるいは歪曲された情报まで用いる今日のコミュニケーションの问题を列挙。
こうした中、コミュニケーションの「武装」を解き、その攻撃性から清められる必要を説かれた。
また、教皇は别の悬念すべき现象として、デジタル?システムを通した「プログラムされた関心の分散」を挙げ、デジタル?システムが市场の论理に従ってわたしたちを分析?推定することで、わたしたちの现実に対する认识を変质させてしまうリスクにも触れている。
心に抱く希望を穏やかに弁明する
教皇は「ペトロの手纸一」から、「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように备えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい」という一节(3,15-16)を引用。
ここから教皇は、「キリスト者の希望には颜がある。それは復活された主の御颜である」、「その希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるようにしなければならない」、「その际には、穏やかに、敬意をもって弁明する」という、3つのメッセージを引き出された。
教皇は、キリスト者のコミュニケーションはもとより、一般のコミュニケーションも、柔和さ、亲しさによって织りなされ、すべての时代における最も伟大な伝达者、人々の歩みに寄り添うナザレのイエスのスタイルに倣うものであるべき、と述べている。
そして、教皇は心に语りかけるコミュニケーション、幻想や恐れを売るのではなく、希望する动机をもたらすことのできるコミュニケーションのあり方を望まれた。
共に希望する
教皇は、希望が持つ共同体的な性格に言及しながら、特にこの恵みの年がもたらす、再出発と、神の抱拥といつくしみへの委託のメッセージを指摘。
圣年の多くの社会的意义に触れつつ、こうした意义を反映する例として、受刑者への怜れみと希望のメッセージ、苦しむ人や疎外された人への寄り添いと优しさを込めた呼びかけなどを挙げられた。
教皇は、私たちを希望へと开く、注意深く优しい、思虑に満ちたコミュニケーションの大切さと、隠れた善を见出し、それを语る必要性を示された。
心を忘れない
テクノロジーのめまぐるしい発展を前に、教皇はわたしたちの心、つまり自分の内面生活を大事にするようにと助言。
そして、「柔和で、相手の颜を忘れず、人々の心に语りかけ」、「本能的な反応をコミュニケーションの指针にせず」、「たとえ実を结ばないと思われる时でも常に希望を蒔く」、人类の伤をいやすコミュニケーションの実践を励まされた。