「希望」と「信仰=旅」をテーマに、教皇の2册の选集
来たる12月24日、バチカンの圣ペトロ大圣堂の「圣なる扉(圣年の扉)」が开かれ、2025年の圣年が开始されるまで、残すところおよそ1ヵ月半となった。
「希望の巡礼者」をモットーに掲げたこの圣年の开幕を前に、「希望」と「旅としての信仰」をそれぞれテーマにした、教皇フランシスコの2册の讲话集が発表された。
この2册は、バチカン出版局から発行された、『希望は夜の光』と、『信仰は旅』。
いずれも「希望」と「信仰=旅」という各々のテーマに沿って、教皇の説教や讲话等から选ばれた言叶が集められている。
教皇はこの2册の选集のために、それぞれ序文を书き下ろされた。
『希望は夜の光』の序文で、教皇は、希望とはすべてのキリスト者にとって、「恵み」であると同时に「务め」であると述べている。
希望が「恵み」であるのは、神が与えてくださるものだからである、と教皇は言う。実际、希望とは、大学の试験がうまくいくとよい、日曜日の远足が好天だとよい、といった単なる楽観的态度ではなく、神の永远、无限の爱における救い、というすでに与えられたものを待ち望む态度である、と记している。
そして、この神の爱と救いが、わたしたちの人生に味わいをもたらし、われわれの罪が引き起こしたあらゆる悪にもかかわらず、世界が存在し続けるための要(かなめ)を形作る。
希望するとは、うかがい知れない天に闭じこもることなく、わたしたちの状态を分かち合うために、血となり肉となられた神に爱され、求められ、望まれることの素晴らしさを味わうことである、と教皇は説いている。
教皇はまた、希望とは、キリスト者が育み、その実りをすべての兄弟姉妹のために役立て、いただいた恵みに忠実に生きるという务めでもある、と述べている。
一方、もう一つの选集、『信仰は旅』の序文で、教皇は、2025年の圣年では「希望」という本质的な面と共に、「信仰とは巡礼であり、わたしたちはこの地上の巡礼者である」という自覚をより促すことを望まれている。
巡礼者とは、旅行者や放浪者のように状况に合わせて移动する存在ではない、と教皇は指摘。巡礼者とは、リスク、苦労、目的地というキーワードに表される「歩みを生きる」存在である、と述べている。
大昔、旅に出るということは、多くの危険のために、二度と家に戻れないかもしれないというリスクを帯びていた、と教皇は歴史を振り返りつつ、しかしながら、巡礼のために旅立ちを选んだ人たちの信仰は、どんな恐れよりも强かった、と记している。
教皇は、わたしたちもその信仰のわずか一部でも神に愿い、神に信頼し、御旨にゆだねるというリスクを受け入れることを、いにしえの巡礼者たちから学ぶよう招いている。
巡礼の歩みは苦労に満ちている。早く起き、必要な物だけを背负い、简素な食事をとる。足は痛み、喉の渇きは辛くなる。しかし、歩いて巡礼する人は、出会う人との美しい関係、真の沉黙と内的豊かさ、本质的な価値の理解など、苦労以上のものを得られる、と教皇は言う。
歩むことには目标がある。歩む人は方向性を持ち、どこに行くかを知っている。神こそがわたしたちの目的地である、教皇は强调する。
そして、この神を求め続ける歩みこそが、ご自身のなぐさめと恵みを与えるために神はわたしたちを待っておられるという甘美な确信をわたしたちにもたらす、と记されている。