教皇、日本二十六圣人殉教者记念碑を前に祈る
访日中の教皇フランシスコは、11月24日(日)午前、长崎?西坂公园で、日本二十六圣人殉教者の记念碑を前に祈られた。
圣パウロ叁木と同志殉教者26人は、1597年2月5日、西坂の丘で磔刑に処せられ、キリストにおける信仰のために処刑された日本で最初の殉教者となった。1862年、教皇ピオ(ピウス)9世によって列圣された。
雨风が吹く西坂の丘を访れた教皇は、记念碑に献花され、沉黙の祈りを捧げられた。そして、殉教者の圣遗物に献香された。
集った人々への挨拶で、教皇は、この瞬间を待ちわび、一巡礼者として祈り、自らのあかしと献身で道を示すこの兄弟たちの信仰に强められるために来た、と述べた。
教皇は、パウロ叁木と同志殉教者をはじめ、その苦しみと死によってこの地を圣なる地とした、あまたの殉教者を思い起こされた。
しかし、この圣地は死よりも、いのちの胜利について语りかける、と述べた教皇は、圣ヨハネ?パウロ2世はこの地を、まことの真福八端の山と考えた、と话された。
また、教皇は、この地は復活を告げる场所、と述べ、それはあらゆる试练においても、最后は死ではなく、いのちに至ると宣言しているからである、と语った。
そして、殉教者たちのあかしは、日々の黙々とした働きによる「殉教」を通して、すべてのいのちを守る文化のために働く、宣教する弟子としての、わたしたちの信仰を强めるもの、と説かれた。
教皇は、この殉教者碑の前で、「地の果て」に生まれた若いイエズス会士の谦虚さに心を重ね、最初の日本の殉教者の歴史に、霊感と刷新の泉を见いだしたかった、と述べた。
今日の教会が、十字架上から放たれた圣パウロ叁木のメッセージに耳を倾け、福音の喜びと美を、すべての人と分かち合うよう招かれていることを感じるように、と愿われた。
また、教皇は、この场所から、世界のさまざまな场所で、信仰ゆえに今日も苦しみ、殉教の苦しみを味わうキリスト者とも心を合わせよう、と呼びかけられた。
そして、教皇は、殉教者たちの献身が、宣教の喜びを呼び覚ますことができるよう、殉教者の元后圣マリアと圣パウロ叁木の取り次ぎを祈りつつ、お告げの祈りをラテン语で唱えられた。
长崎?西坂の丘の殉教の记念碑前での、教皇フランシスコの挨拶全文は、以下のとおり
(カトリック中央协议会訳)
***
教皇の日本司牧访问
教皇のスピーチ
殉教者への表敬--殉教の记念碑
西坂の丘
2019年11月24日、长崎
爱する兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
わたしはこの瞬间を待ちわびていました。わたしは一巡礼者として祈るため、信仰を确かめるため、また自らのあかしと献身で道を示すこの兄弟たちの信仰に强められるために来ました。歓迎に心から感谢いたします。
この圣地にいると、はるか昔に殉教したキリスト者の姿と名が浮かんできます。1597年2月5日に殉教したパウロ叁木と同志殉教者をはじめ、その苦しみと死によってこの地を圣なる地とした、あまたの殉教者です。
しかしながら、この圣地は死についてよりも、いのちの胜利について语りかけます。圣ヨハネ?パウロ2世はこの地を、殉教者の丘としてだけでなく、まことの真福八端の山と考えました。自己中心、安穏、虚栄から解き放たれ、圣霊に満たされた人々のあかしに触れることができる场です(使徒的勧告『喜びに喜べ』65参照)。ここで、迫害と剣に打ち胜った爱のうちに、福音の光が辉いたからです。
ここは何よりも復活を告げる场所です。袭いくるあらゆる试练の中でも、最后は死ではなく、いのちに至ると宣言しているからです。わたしたちは死ではなく、完全な神的いのちに向かって呼ばれているのです。彼らは、そのことを告げ知らせたのです。确かにここには、死と殉教の闇があります。ですが同时に、復活の光も告げ知らされています。殉教者の血は、イエス?キリストがすべての人に、わたしたち皆に与えたいと望む、新しいいのちの种となりました。そのあかしは、宣教する弟子として生きるわたしたちの信仰を强め、献身と决意を新たにします。日々黙々と务める働きによる「殉教」を通して、すべてのいのち、とくにもっとも助けを必要としている人を保护し守る文化のために働く弟子として。
わたしが殉教者にささげられた记念碑の前まで来たのは、このような圣なる人々と会うためです。「地の果て」に生まれた若いイエズス会士の谦虚さに心を重ね、最初の宣教师と日本の殉教者の歴史に、霊感と刷新の深い泉を见いだしたかったのです。すべてをささげた彼の爱を忘れないようにしましょう。记念馆に丁重に纳められ尊ばれる过去の手柄の辉かしい遗物にとどまるのではなく、その爱が、福音宣教の热い思いを刷新し絶えることなく燃え立たせる、この地におけるすべての使徒的精神の、生き生きとした记忆と燃える热意になりますように。今の日本にある教会が、すべての困难と展望を含め、十字架の上から放たれた圣パウロ叁木のメッセージに日々耳を倾け、道、真理、いのち(ヨハネ14?6参照)である福音の喜びと美をすべての人と分かち合うよう招かれていることを感じますように。わたしたちに重くのしかかり、谦逊に、自由に、大胆に、思いやりをもって歩むことを妨げるものから、日々解き放たれますように。
兄弟姉妹の皆さん。この场所から、世界のさまざまな场所で、信仰ゆえに今日も苦しみ、殉教の苦しみを味わうキリスト者とも心を合わせましょう。21世纪の殉教者たちは、そのあかしをもって、勇気をもって真福八端の道を自分のものとするようわたしたちに求めています。彼らのために、彼らとともに祈りましょう。そして、すべての人に、世界の隅々に至るまで、信教の自由が保障されるよう声を上げましょう。また、宗教の名を使ったすべての不正に対しても声を上げましょう。「人间の行动と人类の运命を诱导する全体支配主义と分断を掲げる政略、度を超えた利益追求システム、憎悪に拍车をかけるイデオロギー」(「人类の兄弟爱に関する共同文书(2019年2月4日、アブダビ)」)に対して。
わたしたちの母、殉教者の元后に、そして自らのいのちをもって主のすばらしさをあかしした圣パウロ叁木と同志殉教者たちすべてに愿いましょう。彼らの献身が、宣教の喜びを呼び覚まし保つことができるよう、皆さんの国、そして教会全体のために、取り次いでくれますように。