「核兵器のない世界を」无関心から平和の道具へ、教皇、长崎で诉え
教皇フランシスコは、长崎を访问、爆心地公园で核兵器をめぐりメッセージを述べられた。
11月23日(土)午后、日本に到着された教皇は、访日2日目、11月24日(日)の早朝、羽田空港から特别机で长崎に向かわれた。
教皇は午前9时半ごろ、长崎空港に到着、花束などの歓迎を受けられた。
教皇は、最初に市内の爆心地公园を访れた。
被爆者から渡された白い花轮を原子爆弾落下中心地碑に捧げた教皇は、降りしきる雨の中、沉黙のうちに祈り続けた。
この长崎爆心地公园から、教皇は、核兵器のない世界の実现のために、无関心を捨て、「真の平和の道具」となるよう、すべての人に呼び掛ける、平和のメッセージを、静かに力强く述べられた。
教皇は、人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みである、と强调。
核兵器や大量破壊兵器の所有は、この望みに対する最良の答えではなく、むしろ、それをたえず试みにさらすもの、と话された。
恐怖と相互不信を土台とした偽りの确かさの上に、平和と安全を筑こうとする今日の世界の矛盾を教皇は指摘しつつ、こうした解决策は人と人の関係をむしばみ、相互の対话を阻む、と述べられた。
国际的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊灭の胁威を土台とした、どんな企てとも相いれない、と教皇は语った。
また、军备拡张竞争は、贵重な资源の无駄遣いであり、本来それは、人々の全人的発展と自然环境の保全に使われるべきもの、と指摘された。
核兵器から解放された平和な世界は、あらゆる场所の、数え切れないほどの人の热望であると述べた教皇は、この理想を実现するには、个々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国と非保有国など、すべての人の参加が必要と话された。
教皇は、カトリック教会にとって、人々と国家间の平和の実现に取り组むことは、神と地上のあらゆる人に対する责务と述べ、日本司教协议会は、昨年の7月、核兵器廃絶の呼びかけを行い、また、日本の教会では毎年8月に「平和旬间」を行っていることに触れられた。
教皇は、核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信のもと、核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、と心に刻むよう、世界の政治指導者らに訴えられた。
今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、无関心でいること、伤の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞ぐこと、対话することのできない文化による破灭を前に目を闭ざすことは谁もできない、と教皇は述べられた。
心の改め、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟爱の文化の胜利のために、毎日心を一つにして祈ってくださいと愿われた教皇は、アッシジの圣フランシスコに由来する平和を求める祈りを、次のように唱えられた。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに爱を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。
教皇は、记忆にとどめるこの场所は、わたしたちに无関心でいることを许さず、真の平和の道具となって働き、过去と同じ过ちを犯さないよう促していると话された。
この集いの后、日本二十六圣人殉教者への表敬を行うために、长崎市内の西坂公园に向かわれた。
长崎?爆心地公园での、教皇の核兵器についてのメッセージ全文は、以下のとおり
(カトリック中央协议会訳)
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教皇の日本司牧访问
教皇のスピーチ
核兵器についてのメッセージ
长崎?爆心地公园
2019年11月24日
爱する兄弟姉妹の皆さん。
この场所は、わたしたち人间が过ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意识させてくれます。近年、浦上教会で见いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた笔舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。
人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みに対する最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず试みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に负えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの确かさの上に平和と安全を筑き、确かなものにしようという解决策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対话を阻んでしまうものです。
国际的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊灭の胁威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、现在と未来のすべての人类家族が共有する相互尊重と奉仕への协力と连帯という、世界的な伦理によってのみ実现可能となります。
ここは、核兵器が人道的にも环境にも悲剧的な结末をもたらすことの証人である町です。そして、军备拡张竞争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。军备拡张竞争は、贵重な资源の无駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然环境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人间以下の生活を强いられています。しかし、武器の製造、改良、维持、商いに财が费やされ、筑かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは神に歯向かうテロ行為です。
核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる场所で、数え切れないほどの人が热望していることです。この理想を実现するには、すべての人の参加が必要です。个々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も非保有国も、军队も民间も、国际机関もそうです。核兵器の胁威に対しては、一致団结して具体性をもって応じなくてはなりません。それは、现今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困难ながらも坚固な构造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に圣ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム?イン?テリス)』で核兵器の禁止を世界に诉えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「军备の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか构筑できないという原则に置き换える必要があります」(113番[邦訳61番])。
今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国际的な枠组みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国间主义の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技术革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の结びつきを特徴とする现今の情势から见ると的を射ていないように见えるかもしれませんが、あらゆる国の指导者が紧急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点でもあるのです。
カトリック教会としては、人々と国家间の平和の実现に向けて不退転の决意を固めています。それは、神に対する、そしてこの地上のあらゆる人に対する责务なのです。核兵器禁止条约を含め、核军缩と核不拡散に関する主要な国际的な法的原则に则り、たゆむことなく、迅速に行动し、诉えていきます。昨年の7月、日本司教协议会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日间の平和旬间を行っています。どうか、祈り、一致の促进の饱くなき探求、対话への粘り强い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正义と连帯のある世界を筑く取り组みを鼓舞するものとなりますように。
核兵器のない世界が可能であり必要であるという确信をもって、政治をつかさどる指导者の皆さんにお愿いします。核兵器は、今日の国际的また国家の安全保障への胁威に関してわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および环境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊灭的な破壊を考えなくてはなりません。核の理论によって促される、恐れ、不信、敌意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状态から见ると、その资源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。复雑で困难な持続可能な开発のための2030アジェンダの达成、すなわち人类の全人的発展という目的を达成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇圣パウロ6世は、防卫费の一部から世界基金を创设し、贫しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの报道记者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム?プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。
こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを确かなものとするための构造を作り上げ、状况に対応できる指导者たちの协力を得ることが、きわめて重要です。责务には、わたしたち皆がかかわっていますし、全员が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、无関心でいてよい人はいません。伤の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対话することのできない文化による破灭を前に目を闭ざしてよい人はどこにもいません。
心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟爱の文化が胜利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお愿いします。共通の目的地を目指す中で、相互の违いを认め保証する兄弟爱です。
ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの圣フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全员の祈りとなると确信しています。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに爱を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。
记忆にとどめるこの场所、それはわたしたちをハッとさせ、无関心でいることを许さないだけでなく、神にもっと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。过去と同じ过ちを犯さないためにも勧めているのです。
皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。